代表 タチキカツヤ

足立区出身

施術歴30年 開業歴20年

趣味 ブラジリアン柔術

洋服(古着)

読書・銭湯

からだ工房タチキの日常や頭の中を書いています

< 略歴 >

足立区 竹ノ塚出身

18歳で専門学校入学(2年間)

群馬県前橋市の整体院にて1年インターン勤務

千葉市の整体院にて院長として5年勤務

竹ノ塚のスポーツクラブにて5年勤務、同時期に往診治療開始

2002年からだ工房開業

総合整体講座 伝力教室主宰

現在は後進の指導にも力を入れています

整体を仕事にしたきっかけ

高2夏の部活の合宿中、ジャンプをして着地をした途端、床に崩れ落ちました。腰に激痛・・・ぎっくり腰。その時始めて患者としてこの仕事にふれました。

その後、父が高2の冬に病気でなくなり、はじめて自分の将来について真剣に考えました。その時なぜかギックリ腰のことを思い出し「手に職」整体を仕事にしようかな?ということ強く意識しました。もし父が健在であれば全く違う道に進んでいたのだろうなと思います。

学生時代

高校卒業後、無事2年間の整体の専門学校に入学。父のことがありましたから学校はマジメに行ってました。当時は高校の新卒者なんて数人だけで周りはオッサンばかりでした。学校、バイト、そして終わったら地元の友達と遊ぶ。お気楽に楽しんでました

社会人1年生

ここからが若気の至り?迷走を繰り返す苦難の道のりの始まりでした笑

早く1人前になるにはまず家を出る、そんな思い込みに支配され募集のあった群馬県前橋市の整体院に何にも考えず就職を決めました。狭くて暗い部屋、給料激安、友達ゼロ、当然ですが施術もできず憧れの1人暮らしにはならず・・・

後悔先に立たずでしたが来て早々逃げ帰るという選択肢はなく気を取り直して生活にも仕事にも慣れ落ち着き始めた1年目、当時はバブル終焉の時代。患者さんが激減。まさかの馘宣告・・・最悪のスタートでした

出直し

もうやめちゃおうかな~と思いつつも辞めるのはいつでもできると気を取り直しまずは学校へ相談、インターン扱いで月5万(交通費込)で学校付属の整体院に何とか潜り込みました。実家に帰ったのでなんとかやってはいけるがこのままというわけにはいかない。

半年後、千葉県稲毛の整体院の話がくる。基本給プラス歩合、住まい付き、院長待遇(経営者は学校の理事長)。お金を貯めるにはいいだろ勧められて前回の教訓を忘れ安易に飛びつく笑。働き始める1日前にまずはこんな感じでスタートねと話が違いすぎること多々・・・大人ってズルい。今更帰るところもなく引っ込みもつかずため息交じりの再スタート。

再スタート

まだ21歳、不安しかない1人きりの再スタート。

患者さんは僕よりみんな年上、親と同じような人ばかり。冷たい不安げな視線、当たり前です。患者さんは僕以上に不安だったと思います。毎日予習して施術プランをカルテに書き込み一心不乱の毎日。そんな毎日を過ごし少しづつ慣れてきた時、まさかの事態が・・・

刺客現る。いや2号先生参上。2人体制になる。そしていきなりの同居生活、聞いてない。オラオラ気質の彼、最悪の事態に、初日から大喧嘩に発展。その2号先生が半年で別の整体院に移動後、すぐさま第3の刺客現る笑。今度は半年後、夜逃げ。もういい加減にしてほしい。

他にも色々ありました。ありすぎるくらいありました。ここには約5年お世話になりました。今思うと逃げ出さずにやれたのはやっぱり患者さんのおかげです。上司、同僚、後輩には恵まれませんでしたが患者さんに助けていただき励ましていただきました。ただ慣れというのは怖く若造のくせに必死さや緊張感はなくなりこの辺りが引き際かなと思い退職。

地元に帰る

26歳で地元に帰る。さて開業!という流れが一般的ですがお金がない。

正直、整体院で働くのは過去の失敗もあって気が進まない、ということで竹ノ塚のスポーツクラブでバイト生活を始めました。同時に千葉の患者様が往診してほしいと声をかけてくれたので休みの日は往診も始めました。今でいうダブルワークです。この時期は僕には珍しく同じ世代の同僚と楽しく過ごすことができました。当初1年で辞めて開業と思っていたのですが居心地がよく、気が付けば3年の時を過ごし退職。

開業

専門学校を卒業して10年、30になる歳に開業

そして現在にいたります。開業当時から変わらないスタンスで仕事に向き合えるのはなによりも何の経験も実績もない僕を信じてくれた当時を支えてくれた方々のお陰です。支えてくれた方々に今の自分を見せて恥ずかしくはないか?常に自問自答を繰り返して仕事に向き合っています

TELでの予約・問い合わせ03-3898-0740営業時間 9:00-20:00(休 日・祝)

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